第5話 オーセンテックな銀座酒場は、都会の禅寺(1)
銀座の酒場デビューは・・・
そろそろ西の方から梅雨明けだろう。冷えた生ビールが美味い季節になってきた。先般、住み慣れた銀座から、事務所を移転した。この街は、今では見かけなくなったが、クラブやバーを案内する花売りおばちゃんの様に、目隠しされて1丁目から8丁目のどの路地裏に置かれても、GPSさながら現在地が解る程度に馴染んだ。
チャンとした社会人に連れられて、銀座の酒場に行ったのは、受付のある1階で輪転機が唸っていた朝日新聞社東京本社(現有楽町マリオン所在地)にスタジオが有った大阪朝日放送でアルバイトを始めた頃だった。夕方の入江徳郎のニュース番組を片付け終わると、上司が6丁目銀座交詢社ビル1階のビアホール「ピルゼン」に誘ってくれた。3時間ほどのアルバイトなのに、一端の社会人になった様な心地よい錯覚が、飲み干した冷たい生ビールと一緒に腹に収まった。
その後、30歳を少しばかり過ぎて独立し、初めて身銭で飲んだ銀座の酒場の1つがBAR「いそむら」だ。スバックスビルに移る前の店は、路面電車が行きかう旧電通通りに面し、レンガの外壁が薄墨にくすんだ落ち着いた佇まいだった。店内は背筋を伸ばしてシェイカーを振るバーテンダーが、警策を持った僧のようで、燈色のランプが灯るホールも、仄暗い禅寺にも似た凛とした静寂な雰囲気を漂わせていた。
そんな訳で銀座の酒場デビューは、自ずと姿勢を正しカウンターと対峙する事になった。トレードマークの「赤チョッキ」が似合う磯村信元オーナーは、6年ほど前に大往生した。弟子の中でも男気の強い「洋ちゃん」こと藤井洋一さんは、博品館裏の金春通りに「いち藤」を開店したが、責任感の強さが無理をさせ、病に倒れ止む無く店仕舞いをした。
本人と奥様が執念のリハビリを続けているので、近いうちに元気なバーテンダー姿を見られるかも知れない。
(続く)
