第8話 インディゴブルーの夜明け
「ぼろは着てても心は錦」と格差社会なんかにめげないで
土曜日の昼に自宅近くのスタバで、若い人達と打ち合わせがあった。蒸し暑いけど短パンでは気が引けるので、ジーンズにはき替えようとしたら、まだ物干しに架かっていた。気のおけない青年たちとのミーティングだから、まぁいいかと白いペンキが付いた古いものを穿いて出た。ペンキ塗りで使ったくらいだから、もう廃棄寸前のしろものだ。
若者達にいいペイントジーンズだと持ち上げられ、なかなか話の本題に入れなかった。
考えたら中学1、2年生位の頃からジーパンを穿いていたのだから、もう半世紀近くなるのか。当時の中学生は放課後や休日でも、大抵詰襟の学生服で過ごしていた。上着やシャツは変わっても黒い学生ズボンは、尻や膝の辺りをテカテカにして不動の地位を譲らなかった。
石原裕次郎が鮮烈に銀幕を往来していた頃だ。脛毛もまだ出ないお兄ちゃん達は、チョイ悪に憧れたが、ヨットもスポーツカーも隣り合わせるスカーフの令嬢も、全てがバーチャルな世界だ。唯一、夢の世界に繋がるリアルなアイテムが、慎太郎刈りとジーパンだった。
京浜第二国道(国道1号線)沿道には、進駐軍キャンプの払い下げ品を売る粗末な店が幾つか点在していた。米軍払い下げ品と言っても、カーキ色のチノデニムの軍服は見当たらず、作業着と朝鮮戦争で使い古した、毛布やキヤンプ用小物がほとんどだ。
山に積まれたジーパンのサイズは、ほとんどが40インチ前後のウエストサイズで、縮んでいるがそれでも90cm近い胴回りだ。痩せた中学生のサイズに、店の奥の工業用ミシンでリフォームをした。それでも学生ズボンの倍の重さで、フライの金属ボタンを留めながら、やっと裕次郎の弟になった。
スポーツカー替わりの自転車を、横浜港や遠く湘南海岸まで何度も走らせた。暫くすると尻や膝の布地が薄くなって、生春巻きの中身のように肌や下着が透けて見えた。ダメージやクラッシュジーンズの走りで、当て布をしたが恥ずかしかった。おそらくリーバイス501あたりのジーパンだったろう。今はユニクロのリーズナブルなインドネシア製ジーンズが気に入っている。
染料をわざわざ落としてビンテージ風に加工する、ウオッシャブルジーンズの人気はかれこれ30年位定着している。主な生産地の発展途上国では、洗い加工に大量に水と薬品を使い、その廃液も環境に負荷をかけている。しかし、若者は地球環境の事より「ぼろは着てても心は錦」と格差社会なんかにめげないで、ジーンズがクラッシュするまで、仲間と大いに遊んで成長して欲しいな。それからでもいい。
ジーンズ基本色の藍染め色(インディゴブルー)は地球を覆う青い大気や、藍色グラデーションの海を連想させる。荀子(中国)の諺「出藍の誉れ」「青は藍より出でて藍より青し」は、師匠に薫陶を受けた弟子は、師匠より優れた力を発揮するとの意味だ。
いずれ漆黒の闇からインディゴブルーの清冽な意思が拡がる。君たちの夜明けはきっと来るよ。
(完)
