第19話 多摩川のクリスマス・イブ(1)

2007.12.24

人生と同じで、下り坂は人生模様や景色が良く見えて面白い。性根の座っていないオッサンは、長丁場の初めが上り坂なんてキツイよ。

 12月三連休の最後はクリスマス・イブだ。連休の初めはぐずついていたが、今日は天気が良いので、恒例の多摩川クリスマスウォーキングだ。このコースは年に3、4回歩く、ほとんどが春先で多摩川沿いの桜ウォッチが目的だ。

 毎回、早めに仕事を切り上げ都心から日比谷線で、田園調布駅前のロータリーからスタートだ。土地勘のある方は、チョット首を傾げるかも知れないな。多摩川に出るには、次の多摩川駅下車の方が近いからだ。手前のこの駅で降りる理由は2つ有る。

 1つは駅が武蔵野台地の南端に在り、線路を挟んだ両側は30m位の標高差がある。標高の高い駅前ロータリー側から、次駅まで600m位で下り坂だ。歩き始めは下りだから楽で気分もいい。人生と同じで下り坂は、人生模様や景色がよく見えて面白い。性根の座っていないオッサンは、長丁場の初めが上り坂なんてキツイよ。スタートから必死の形相で、ゴールに向うのはまっぴらゴメンです。それこそマサカの魔坂だな。

 もう1つは、若い頃お世話になった方の住まいがあるからだ。僕は書生のような事をしていた時期があった。東京丸の内にある三菱村の三菱仲28号館の事務所から、時々田園調布3丁目のボスのお宅へ使い走りした。初代のボスは緒方貞子JICA理事長のお父上だ。その頃先生は入院されており、実際のボスは緒方さんの弟さんだった。

 ボスの仕事は佐藤栄作総理のご長男竜太郎さん達と、海底油田を探索するメジャーから、探査や掘削船などを手当てするようなビジネスだった。ハーバード仕込みの英語は1流を超えていると言われていた。僕は元々英語も出来ないけど、ボスと外人客の会話が、何一つ聞き取れなくてショックを受けた。国際電話が掛かってくると「彼は不在だ」「あなたの連絡先とお名前を」と言うのが精一杯で、電話番号は良いのだが会社名や氏名を2、3回は聞き返した。ボスが不在の時は羽を伸ばすどころか、早く帰って来ないかなと思ったものだ。

 それで英語は極めて難しいなと習得を諦めた。今でも英語の外国人と意思表示する時は後悔している。ジェスチャーとルー語のオンリーだ。国際石油ビジネスの話は巨額だし、結構シークレットな部分が多い。却ってそれが良かったのかも知れないな。

 身なりも安物の若造を、歳の離れた弟のように可愛がってくれた。見るもの聞くものが新鮮で、今は無き赤坂や築地の料亭にお供して、けっこうな食事や大物にも会わせて頂いた。夜遅くなれば、都電(路面電車)で帰れるといくら言っても、ハイヤーも回してくれた。

 書生を辞めてからも、当時は3ツ星だったパリの「トゥールダルジャン」のディナーにも連れて行って頂いた。昭和天皇が訪仏時に召上った、同じ鴨のローストやテリーヌをご馳走になったりした。セーヌ河畔の店は静寂に包まれ、僕は重厚な店内の雰囲気に圧倒されて、味も全く覚えていない。赤ワインと水ばかり飲んだのを鮮明に思い出す。ナンバー入りのカードの由来を、ボスから聞き確か50万番台だったかな。1980年頃のオッサンの自慢話だ。

 元ボス中村豊治さんは誰にでも優しく、威張る事や虚勢を張る事がまったくなかった。僕にさえ「さん」付けだったくらいだ。国際的に活躍されていたが、アッパークラスの良い面を、得体の知れぬ茶坊主のような面々に、利用され大きな損失を蒙った。昔の事だけど、もし僕に力が有ったら、少しは役に立てたのに残念だ。

 その頃、ボス達は広い自宅の敷地を、半分くらいを売却した。広さは半減したが、買主が僕の好きな長嶋茂雄さんだったので少しはホッとした。現在はボスの仕事の件などで、経済的にもご苦労をされた、姉の緒方貞子さんが守っているようだ。思い出の地で、世界に誇れるミスターとマダムが隣同士だなんて、天国の豊一先生も満足だろう。

(続く)