第27話 マグロ漁船の貴婦人とタスマニア物語(1)
夜の貴婦人が毛皮のコートを翻して、マグロ漁船のタラップを跳ねるように昇っていった。
昨日は漁船の燃料代高騰で経営危機だから、燃料代を国民(国)に補填してと全国20万隻が一斉休漁をした。
お魚大好きオッサンの脳細胞はいつも休眠中なので、頭が良くなる魚のDHAやエイコサペンタエン酸(EPA)を吸収しても、使われずにたっぷりと余っている。たまにはさかな⇒肴⇒魚と素早く問題の本質?に、ギョギョッと迫って栄養効果を確かめてみるかな。
遠洋漁業と聞いて確か15年ほど前に立ち寄った、オーストラリアのタスマニア島を思い出した。人影もまばらな平屋建ての小さなホバート空港へ降り立ったのは、南半球が晩秋を迎えた5月頃だった。オーストラリアで2番目の古い州都のホバートは、19世紀の捕鯨基地として賑わった佇まいがまだアチコチに残っていた。
港に面したホテルで夕食を済まし、ボクは何時もの視察(只の徘徊)を始めた。夜の帳が降りた港町は人も少なく、旅行者らしき姿も見えない。タスマン海の冷たい海風を避けるように砂岩で建てた岸壁の倉庫街に、船の左舷灯をサインボードにした外壁に赤ランプが燈る店が目に入った。
小窓が付いた分厚い木扉を開け、カウンターの端に腰を下ろした。「何を飲む?」と訊かれ暫らく考え、元々英領の捕鯨で栄えた港町なので、帆船ラベルのスコッチ「カティーサーク」を注文するとバーテンがニコリと頷いた。薄いグリーンのボトルとショットグラスがツーフインガーで出てきた。
暇を持て余しているバーテンは、「何処から来た、仕事は?」と聞いてきた。ストレートが効き始め、辺りに客は居ないから恥ずかしくないなと、タンゴ(単語)ダイアログを始めた。
肩越しに「日本の方ですか?」と日本語で声が掛かった。声の主は店の常連らしく、ボクが日本人と分かると隣に席を移して来た。彼は遠洋漁業の船員で静岡の焼津からここホバート港を基地に、タスマン海や南極海の漁場でマグロはえ縄漁をしているのだ。この海域のシケは凄まじく、まさに「板子一枚下は地獄」だと話してくれた。
日本酒があるから船室に来ないかと誘われ、マグロの刺身が恋しくなったボクは二つ返事で、岸壁に停泊している150トン位の漁船を訪問した。コップ酒と雑魚の煮付けは出てくるが、お目当てのマグロが一向に出てこない。
しびれを切らして、マグロを見たいとリクエストすると冷凍庫だと言う。それなら解凍したものでもいいと告げたら、魂胆を見透かしたように案内をしてくれた。船腹の中ほどは冷凍庫をマイナス50度〜60度に保つ冷凍機とジーゼルエンジンがうなりを上げていた。冷凍庫の扉で大きな南京錠がブルブルと小刻みに震えていた。
庫内は高級料亭や高貴な人達用のミナミマグロで、オレたちやアンタらの口には入らないシロモノだと教えられた。海の赤い宝石か、船内でも鍵を掛けているんだ。そりゃそうだろう何千キロも離れた日本から、南極大陸の目と鼻の先まで来るんだから高価なマグロになる訳だ。
オッサンはマグロがダメなら長居は無用と下船した。入れ違いに夜の貴婦人が香水を潮風に乗せ、毛皮のコートを翻してマグロ漁船のタラップを跳ねるように昇っていった。
(続く)
